落ち葉

「煩悩」という塵(ちり)は、私たちの心にたくさん積もっている。心はざわめき動き、まもりがたく調えがたし。

何本もの大樹が、拙寺の庭へ、墓地へ、茶色に変じたその葉を落としてくる。今掃いたところへ落ちてくる。きれいにしても数分後には、掃く前とほとんど変わらない状態になる。

「人間それは、自然と、人と、物との間柄によってのみ、生かされあるもの、感謝すべし。」

誰が言ったか、この言葉。解ってはいるが、落ち葉の恨めしさよ。

むかしチュ-ラパンダカは、愚鈍ゆえに仏道修行が進まず、自己研鑽の努力を止めようと思った。しかし釈尊から、
「塵を払わん、垢を除かん。」
(ちりをはらわん、あかをのぞかん)
という言葉を、四六時中、一心に唱えなさい、と言われ、言われるまま、何をする時でも「塵を払わん、垢を除かん。」と唱え続けた。そしてある時、チューラパンダカは疑念を抱いた。

「塵とは何か? 垢とは何か?」

その答えは自分自身にある。欲や煩悩という塵や垢が、私たちの心に積もっていることを自覚すれば、悟りはもう遠くない。

掃けば散り 払えばまたも ちり積もる 庭の落ち葉も 人の心も。

散って積もるは、庭の落ち葉。
塵と積もるは、欲煩悩。

解っちゃいるが、イヤになっちゃう、この時期は。
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もみじ

もみじ1

昨は紅顔の子たりしに
今は変じて魑魅(ちみ)の如し
  ~ 大愚良寛禅師

もみじ2


(昨日は赤いほっぺの少年でしたのに、今日はまるで、化け物みたいに変わり果てています。)
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気が付けば…

智光院のシンボルツリー、ベニシダレ(モミジです)が、今日にわかに色気づきました。
昨日からの雨で、気温が下がったからでしょうか。それにしても、ここ数年は紅葉が遅いですね。

遅い秋の到来を記念に残そうと…、


 思っていながら…、


 なんだかんだで…、


 結局、今日は紅葉の写真を撮れなかったのでした…。


最近、物忘れが多くて困ります。

「光陰矢の如し、時人を待たず。」

明日は忘れずに撮影するぞ。
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年賀状を書く季節

喪中のため年末年始のご挨拶を失礼させていただきます

というハガキが届きました。今年の第1号です。

あぁ、もうこんな季節になったのですね…。
年賀状書くのって大変。何が大変って、宛名を書くのが大変。私は筆ペンで書きます。事務的な手紙の場合は、パソコン使って印字させますが、礼状と年賀状の宛名は、手書きにしてます。何故かって? 特別な理由はありません。そうしたいからです。大変だけど、でも、手書きしてます。筆と墨で書けばもっと良いのでしょうが、筆ペンで書いてます。

機械の印字では味気ないとか、手書きには温かみがあるだとか、ちまたではいろいろ言われますが、別にそんなこと考えてるわけではありません。ぶっちゃけ、裏側をパソコンまかせにしているから、せめて宛名ぐらいは…、という自分自身への言い訳ですね(笑)。

「年賀状送付リスト」を開いて、1枚1枚、住所を書いてゆく。書いたハガキをテーブルに置いてゆく。インクが乾くまで、重ならないように置いてゆく。そうして、いつのまにかテーブルの上は、書いたハガキで埋め尽くされる…。

こういう作業も良いものですよ。年末お決まりの作業をしていると、

「あぁ、今年ももうすぐ終わりかぁ。今年もこれだけの人々に、お世話になったんだなぁ。」

なんて、感傷的になる……はずはない!
「早くしないと、正月が来てしまう!」と、毎年焦りながら書いているのが実情ですな。ホント、進歩ないですね。

今年は少し早めに、筆と墨で書いてみますか…。
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前山寺

前山寺の三重塔


信州上田は古刹の多い地域です。今日は真言宗智山派・前山寺(ぜんさんじ)のご紹介。

獨股山(とっこさん)前山寺は、独鈷山の麓にあります。独鈷(とっこ)とは、弘法大師の像が、よく手にしている法具ですが、本来は武器です。形を見ると、かなり危険な武器であることが容易に想像できます。それが密教の法具に使われるようになりました。
弘法大師が独鈷をもって加持祈祷をしたところ、山から水が沸き出したので、以来「独鈷山」と呼ぶようになったのだとか。

この寺には「未完成の完成の塔」と呼ばれる、重要文化財の三重塔があります。よく見ると、窓や欄干などがありません。つまり、建造途中の塔なのだそうです。しかし、中途半端なのに美しい。「未完成の完成の塔」と呼ばれる所以です。

ところで、拙寺・智光院の本堂は、昭和34年に完成しましたが、新築ではなく、真言宗豊山派のお寺に建っていた本堂を買い取ったものです。一度ばらしてから、使える部材を当地へ運び、ふたたび組み直した中古の本堂なのです。よく見ると、木材を継ぎ足したり、妙な隙間が空いていたりします。そして先住職は、この本堂を「未完の本堂」にしたのです。外陣前面の欄間に貼らなければならない障子紙を、わざと貼らなかったのです。
私が子供の頃の本堂=昭和40~50年代の本堂は、隙間だらけのガラス戸や、正面から外れた玄関、予算がまわらなかったのであろう安普請の天井など、随所に当時の苦労が偲ばれました。内陣の須弥壇も、禅宗様式に変更せず、真言宗の造りのままです。そして先住職は、それらに徐々に手を入れていき、最終完成形になったところで、欄間の障子紙を貼るつもりだったのでした。

残念ながら先住職は、その手で障子紙を貼ることなく亡くなりました。「自分が出来なかった時には、次の住職が完成させて欲しい」と、生前、周囲に話していたそうです。最後に障子紙を貼る仕事は、私に預けられているのです。

前山寺の三重塔は「未完成の完成」のままで、未来永劫完成形を見ないでしょうが、智光院の本堂は「未完の本堂」のままでなく、何とか完成させたいと思っています。
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安楽寺

安楽寺の国宝八角三重塔


信州上田にほど近い別所温泉に、古刹・安楽寺があります。

歴史は古く、天平年間の開創と伝えられますが、寺歴がはっきりするのは鎌倉時代以降です。時の執権・北条貞時が、臨済宗僧である樵谷惟仙(しょうこくいせん)禅師を招請して中興しました。往時は鎌倉・建長寺と並ぶ禅道場として、多くの学僧を育てていました。

北条氏滅亡後は、庇護する者がいなくなり、衰退を余儀なくされましたが、安土桃山時代になって、曹洞宗僧の高山順京(こうざんじゅんきょう)禅師によってふたたび再興され、今日に至っています。

鎌倉時代末期建立の八角三重塔(国宝)が、本堂裏手の山懐に、静かに堂々とたたずんでいます。

境内から八角三重塔に向かう山道の中間に、なにやらコンクリート造りの味気ない建物が建っていました。見るとそこは、中興開山・樵谷惟仙禅師と、中興二世・幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)禅師の2体の木造(いずれも重要文化財)が、安置されたお堂でした。一方、本堂には、金色の釈迦三尊と、彩色美しい大権修理菩薩が祀られていました。「この本堂に開山の木像をお祀りしたら、どんなにか有り難いだろう…」と思いましたが、臨済から曹洞に宗旨が替わってしまった以上、口惜しいかな、残念ながらやむを得ぬ所です…。
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善光寺まいり

信州善光寺


むかしから「牛に引かれて善光寺まいり」と言われます。一生に一度はお詣りしなさい、と言われた信州長野の善光寺です。昨日行って参りました。

天台宗の「大勧進」と、浄土宗の「大本願」があるこのお寺、要するに二つの宗派があるという、ややこしい寺であります。

本堂の内々陣にある、来迎二十五菩薩と百観音のオブジェ?、そしてキンキラの飾り物が、極楽浄土を演出しております。
本尊は見せてくれません。緞帳で隠されております。「本当にいるの?」と疑ってしまうのは私だけでしょうか…。

お約束の「お戒壇巡り」に入り、「極楽のお錠前」とやらを、これでもか!というくらいに思いッ切り動かしてきました。これで当分は「幸せ」になるはずです。

お堂の脇に、猫ひ○し発見、ニャー。

猫ひろし


冗談はこれくらいにして。


寺に詣でる、ということで、私たちは身も心も清められた気持ちになります。そこへ行くまでの行程、境内に入り参拝する時、そして家に帰り、さらに未来まで、本当の信心を持ち続けられる人は、一体どれくらいいるでしょうか?

観光を悪いとは言いません。しかし、「寺に詣でる」ということは、観光旅行気分ではなく、それなりの信心というものがないと、本当はいけないのではないでしょうか?

一生に一度は善光寺にお詣りしたい、極楽浄土をこの目で見たい、という信心があればこそ、善光寺が存在する意味があるのです。阿弥陀如来が、来迎二十五菩薩が、親鸞聖人が、私たちを見守ってくれている、「あぁ、私は救われたんだ」という気持ちが起こり、それ以降の人生がガラリと変わるほど、神聖な場所なのです。

御利益なんかを当てにしていたら、それは大間違いなのですよ。
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オブジェ

クリスマス用オブジェ

クリスマスが近づきました。有楽町駅前「ビ○クカメラ」にて撮影。

日本の仏教にも、こういう明るい行事があるといいのに…。

あ…、準備が面倒か、、、。
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クルマは凶器

最近は狭い路地をすごいスピードで走るクルマが多く、本当に怖いです。

私が、地元の路地を走っている時に、後ろからあおってくるクルマの、本当に多いこと! 絶対にスピードを出せない危険な道路を、こちらが安全運転しているのに、「早く行け!!」とばかりに、後ろにピッタリ付けてクラクションを鳴らすなどとは、一体何を考えているのか!!

もしも、この文章を読んで、自分に心当たりがあるのならば、今すぐ心を入れ替えて下さい。

あなたには、人身事故を起こした知人がいますか? 私にはいます。事故を起こした側は、本人ばかりでなく、家族の人生まで一変してしまいます。

あなたには、交通事故で命を落とされた知人がいますか? 私は、交通事故でなくなった方の葬儀を、何回か勤めたことがあります。遺族の無念さは、とても筆舌に尽くしがたいものがあります。もしもあなたの家族・親戚・知人が交通事故で命を落としたとしたら、あなたはどう思いますか?

クルマは便利ですが、その反面、大変な凶器なのです。クルマを運転する人は、今一度、よく考えて下さい。

事故が起きてからでは遅いのです。

安全運転、心からお願いします。
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鼻づまりで苦しいの

一週間ほど前から、ひどい鼻づまりでして、、、。薬飲んで、マスク付けていないと、まともに生活できません。

友人いわく「そりゃ花粉症だよ。ブタクサじゃね?」

今日、用事で拙寺まで来て下さったR院の和尚も、

「私もアレルギーがすごいんですよ。」

って言ってました。ついでに、

「歳をとると、アレルギー以外にもいろんな病気が出るからね。ちこうさん(=私のこと)もこれから、どんどん出てくるよ♪」

なんて、言うんですよね…。

そっかぁ、歳をとると、たくさん病気が出てくるんだ…。なるべく元気でいられるように、運動とかしなきゃね。



それより花粉症なんとかしてぇ~(涙)。
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読心術?

「おまえのブログはかたいな~。」

と、先輩からお褒めの言葉を頂戴しました。

タイトルで「適当な人生でイイと思う」と、自分で言っておきながら、いざ書き始めると、適当のはずが「長く硬く」なってしまうんですね。文章を書くって、とても難しいです。

先輩も私の性格を、よくご存じなものですから、私が気にかけていることを、いつもピタッと当ててしまう。すごい人です。

私にも、先輩の10分の1でも「人を見抜く眼」があると、いいのですが…。
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畜生かまきり

カマキリ



数日前から大きなかまきりが、境内をうろついています。今日などは、あまりにも目立つところにいるものだから、

「こいつ、こんなところにいて大丈夫かいな?」

と思ったりします。「そんなところにエサはないだろう」とか「鳥に見つかって食われちまうぞ」とか、余計なお節介なのでしょうが、ま、数日元気で生きているのですから、問題はないのでしょう。


ところで、かまきりは、私のことをどう思っているのだろうか??
S.スピルバーグ監督の『宇宙戦争』という映画で、宇宙人がトライポッドに乗って、逃げる人間どもを捕まえてましたが、かまきりからすると、私はトライポッドにあたるのでしょうか…。もしも今、巨大な宇宙人が襲ってきたら、、、なんて考えると怖いですよ、ホントに。


「死」という現象を、明確に理解している生物は「人間だけ」と言われているそうです。つまり、未来に対する予測のうち、自分は必ず死ぬのだ、という絶望的な未来の到来を理解しているのは「ヒト」だけなのだとか。ヒトの学名は「ホモ・サピエンス」。これは「知恵のあるヒト」という意味らしいですが、知恵あるがために諸行無常を悟り、絶望も起こるのです。


かまきりのことを、我々「知恵あるヒト」は、「畜生(ちくしょう)」というカテゴリーに入れております。畜生のことを「苦しみ多く、楽しみ少なく、本能のままに生き、自制心のない生き物」というような定義をしておりますが、「知恵あるヒト」にだって、自分勝手な生き物の、なんと多いことか!

食べものを無駄にする、弱いものをいじめる、見栄を張る、華美に飾り立てるなど、畜生がやらないことを、知恵ある人間は、やっているんですから、困ったものです。私たちには、未来を予測できる知恵があるのですから、明るい未来になるために、この大いなる知恵を働かせたいものです。
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平等性智

人が、善悪の心を起こすのは、物事を二元的対立判断の世界で観察するからだ。二元性のない、慈悲深き絶対平等の世界で観察すると、善とも思わず悪とも思わず、「空」とか「無」とか言われる世界を見ることができる。

釈尊、すなわち、ゴータマ・シッダールタは、カーストと呼ばれる身分差別のあるインドの地において、クシャトリアという支配者階級(政治・戦闘をする階級)の、それも王子という身分としてこの世に生を受けた。

しかし、情緒豊かであり哲学的思考を好んだ青年王子は、生まれながらに身分差別があることに、深く考え込んでしまった。いわゆる「カースト(血統)」という差別は(現在でも続いているのだが)、生を受ける時にはすでにハンディキャップが付いた状態で、人生のスタートラインに立つことになるのだ。

「人はみな平等なはずなのに、なぜ身分や容姿で分け隔てをするのだろうか?」 こんなことを、王子という身分の人間が考えていたのだ。そして、周囲の反対も聞かず、制止を振り切って、妻子を捨て出家してしまったのだから、よほど思い詰めていたに違いない。

若い日の贅沢な暮らしとは、まったく反対の生活が始まった。数年間の修行、深い洞察、坐禅瞑想、、、そうしてついに真理を見たゴータマは、「釈尊」(=シャーキャ族の聖者)と呼ばれ、私たちの師となった。カーストに構わず、誰でも受け入れ、誰にでも教えを説いた。言葉で言うのは簡単だが、社会全体に階級差別がある時代に、階級の違う人間と親しげに話をすることなど、並大抵なことでは実行できないだろう。「聖者」という尊称は伊達ではない。

物事を平等に見るということは、かなり難しい。例えばあなたが親ならば、自分の子供と他人の子供と、平等に接することができるだろうか? 健常者は障害者に対して、哀れむ態度で接していないだろうか? 平等とは、一切の垣根を取り払うこと。それはつまり、差別を離れて、慈悲心を起こすことなのである。そこには、善悪すらも生じない。これを仏教要語では、「平等性智(びょうどうしょうち)」と言う。
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恨みを忘れる

NYワールドトレードセンタービル跡地


昭和29年の11月3日、日本初の怪獣特撮映画「ゴジラ」が公開されました。

ゴジラは、海底に潜んでいた恐竜で、原爆実験がもとで住みかを追われたために、地上に姿を現しました。この映画の背景には、当時問題となった「第五福竜丸事件」があります。アメリカの核実験により、船の乗組員が被爆した事件です。ゴジラは、核爆弾の恐怖、環境破壊、人間のエゴに対する警鐘を、私たちに鳴らしていたのでした。

最近の日本では、核問題のニュースが目を引きますが、世界の他の国々では、派手なミサイル発射訓練あり、内戦あり、テロ行為ありと、悲しい出来事が頻繁に起きているのです。

世界で唯一、原爆を落とされた国として、日本はなぜもっと積極的に、平和のメッセージを発信しないのでしょうか?

ありがたいことに、日本はとても平和な国です。日本は平和すぎるために、戦争の悲惨さやテロの恐ろしさに対して、実感が湧きません。「その平和は、アメリカの核兵器に守ってもらっているからだ」という意見があるのも当然ですし、それが事実です。しかし、そういう部分を強調するのではなく、「他国に対して侵略をする姿勢を見せない」ことこそ、強調すべきではないでしょうか?

「恨みは、恨みによって鎮まらない。恨みは、忘れることによってのみ鎮まる。」

目には目を、の精神では、いつまで経っても争いの輪廻から抜けられません。殴られないためにと、強さを誇示するのでは、動物の縄張り争いと変わらないでしょう。武力を捨て、恨みを捨て、豊かさを求め、先達が大変な苦労をし、そうして日本は今日の平和を手に入れました。

このままでは、本当に恐ろしい出来事が起こりそうだ、、、今日ニュースを見ていて、つくづく感じました。いや、現実には、恐ろしい出来事はあちらこちらで、実際に起きているのです。何が正義で、何が悪なのでしょう? 私たちに警鐘を鳴らしたゴジラまで、いつの間にか「悪い怪獣と戦うヒーロー」みたいになってしまいました…。

精神的な平安こそが、争いの消えた、真の平和をもたらすものと、私は信じます。

(掲載写真は、ニューヨークのワールドトレードセンタービル跡地です。)
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卍。

「まんじ」です。お寺を表す地図記号です。Unicode は“534d”です。

ヒンドゥー教の神・ヴィシュヌ神の胸毛が、この形だったとか! う~ん、セクシー!
「ごきげんよう」という呼びかけを意味する文字を組み合わせた記号、とか、吉祥の印とも言われています。
また、10000を示す記号だった、という話も。それで「万字」か … 説得力ありマス。


卍山道白。

「まんざんどうはく」と読みます。曹洞宗中興の祖と仰がれている、江戸時代の高僧の名前です。


ところで、「卍」の書き順ってご存じですか?

1,上の横棒
2,真ん中の横棒
3,真ん中の縦棒
4,右の縦棒
5,左の縦棒
6,下の横棒

と書くんだそうですよ。6画です。部首は「十(じゅう)」です。知っていると、ちょっと自慢できますか??


卍解。

「ばんかい」と読むそうです。頂点を極めたものに現れる奥義だとか…。こりゃあ、知らなかった。あした自慢しよーっと。
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東京都公文書館

東京都公文書館


昨日の予告通り、東京都公文書館に行ってきました。

まずは受付で、寺院名と閲覧したい書類を言います。今回閲覧をお願いしたのは、
『御府内備考続編』
『明治五年寺院明細帳』
『明治十年寺院明細簿』
の3冊です。

この3冊は、近世の寺院を調査する時の基礎史料です。そんなに頻繁に来られる所でもないので、『御府内備考続編』だけでなく、3冊全部チェック!チェック!することにしました。

閲覧申請書を書いて、少し待っていると、別の部屋に呼ばれました。そこは、マイクロフィルムを見る機械が並んだ部屋でした。職員さんは、ひととおりの操作方法を私に説明してくれると、部屋から出て行きました。私以外には誰も利用している人がいなかったため、その後は一人ゆっくりと史料を閲覧することができたのでした。

『御府内備考続編』は1829年の成立ですから、マイクロフィルムとして今見ている、目の前のそれは、200年近く前のもの、ということになります。実物ではないので、紙の質感などは解りませんが、字は紛れもなく江戸時代の役人さんが書いた字なのです。達筆すぎてほとんど読めない(泣)…。ですが、たまにはこういう文書を眺めるのも良いものですね。

さて、今回の最大の目的である『御府内備考続編』の「智光院」のページをチェックしましたら、、、あれれ、、、寺にあるコピーと同じだゾ…。なんと、今まで寺で見ていたコピー、「国会図書館所蔵(=写本)のコピー」と聞いていたのに、実はこの「東京都公文書館所蔵(=原本)のコピー」だったのでした!

今まで見ていたコピーが「原本」だったので、おかげでコピーする枚数が少なくてすみました。コピー1枚¥20。3冊閲覧して、必要なコピー枚数は11枚で済みましたので、締めて¥220 でした。

東京都公文書館、自分が調べたい内容を、閲覧受付の職員さんにたずねれば、目的に合った資料を見つけてくれるようです。閲覧のできない日もあるようなので、事前に公式ウェブサイトで確認をしてからお出かけ下さい。

今日の目的は無事完了しました。帰りは竹芝桟橋にちょっと寄り道。東京都公文書館のすぐ裏手なんですよ。ここから伊豆諸島や小笠原へ行く船が出ています。小笠原へは、南へ1,000km だそうです。…遠いね。何時間かかるのかな…?

竹芝桟橋

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