パソコンがさくさく動く

一昨日、文化庁が行った「平成24年度「国語に関する世論調査」の結果の概要」が発表されました。(PDFファイルはこちら→ http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h24/pdf/h24_chosa_kekka.pdf

皆さんは「きんきんに冷えたビール」とか「パソコンがさくさく動く」という言い方を使いますか? 私は普通に使います。元来は別の用例だったそうですが「え? 元々の使い方は何だっけ?」とすぐには思い浮かびませんでした。「きんきん」は「きんきん声(甲高い声)」「頭がきんきん痛い(鋭く痛む)」という使い方で、「さくさく」は「霜柱などを踏んだ時の音表現」「野菜などを軽快に刻む例え」に使用されてきました。言われてみればなるほどと思いましたが、私はこの使い方はしませんね。

言葉が正しく使われているかどうか、という調査では、「役不足」「潮時」「噴飯もの」など5つの言葉についての意味を問う設問でした。「役不足」は、本人の力量に対して役目が「重すぎる」のではなく「軽すぎる」こと。「潮時」は、ものごとの「終わり」ではなく「ちょうどいい時期」。「噴飯もの」は、「腹立たしい」のではなく「おかしくてたまらない」こと。いかがですか? 正しく使っていますか? 私は5問中3問正解でした。この正答率からすると、約4割の言葉は違う意味で覚えているのかもしれません。

日本語の中には、仏教に由来する言葉があります。「縁起(えんぎ)」「祇園(ぎおん)」「有頂天(うちょうてん)」「金輪際(こんりんざい)」「億劫(おっくう)」「自業自得(じごうじとく)」などなど。大相撲の貴乃花関が横綱に昇進した時の口上で有名になった「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」は法華経にある言葉です。「旦那(だんな)」は元々は「檀那(だんな)」と記述します。これは「布施(ふせ)」を意味するサンスクリット語「ダーナ」を音写した言葉です。布施とは「私心のない、見返りを求めない施し」という意味であり、そこから臓器提供者「ドナー」という言葉にもつながっていると聞いたことがあります。

いくつかの仏教由来の言葉には、意味が正反対になったものがあります。

「我慢(がまん)」は、「辛抱する」という意味で使用していると思いますが、本来は「自我に執着しておごり高ぶっていること」すなわち、傲慢なことを指します。「引導(いんどう)を渡す」は、迷っている人々を悟りの世界へ導いてあげることであり、決して「弱っている相手にとどめを刺す」という意味ではありません。

こういう機会をきっかけに、辞書を引いて「言葉」探しをするのも楽しいかもしれないですね。
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善い行いと懴悔

『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳(岩波書店 ISBN4-00-333021-8)より引用させていただきます。『感興のことば』の、第7章 善い行ない より。

1, 身体に過ちを犯さないように、まもり落ち着けよ。身体について、慎んでおれ。身体による悪い行ないを捨てて、身体によって善行を行なえ。
2, ことばで過ちを犯さないように、まもり落ち着けよ。ことばについて、慎んでおれ。語(ことば)による悪い行ないを捨てて、語によって善行を行なえ。
3, 心で過ちを犯さないように、まもり落ち着けよ。心について、慎んでおれ。心による悪い行ないを捨てて、心によって善行を行なえ。
4, 身体による悪い行ないを捨て、ことばによる悪い行ないを捨て、心による悪い行ないを捨て、そのほか汚れのつきまとうことを捨てて、
5, 身体によって善いことをせよ。ことばによって大いに善いことをせよ。心によって善いことをせよ。ーー汚れのさまたげの無い、無量の善いことを。
6, 身体によって善いことを為し、ことばによっても心によっても善いことをするならば、その人はこの世でも、またかの世でも幸せを得るであろう。



身体とことばと心の働きによるさまざまな行為を「身口意の三業(しんくいのさんごう)」と言います。当サイトの経典解説「懺悔文」を参照していただきたいのですが、私たちは永遠の過去より「むさぼり」「怒り」「愚かさ」という3種類の悪しきもの=三毒(さんどく)を持って、この世に生を受けます。三毒は身口意の三業を通して、悪い行いとなって現れます。

我が身は何と罪深きものであろうか…そう自覚した時に、私は過ちを悔い許しを請うのでありますが、それが心の底より行う懴悔でなければ、還って罪を深くします。例えば貴方が誰かから謝罪を受けた時、真心のこもった謝罪には寛恕が生まれると思いますが、形ばかりの謝罪は逆に怒りが増すと感じませんか? それと同じです。懺悔は無私の心より出なければなりません。

冒頭の釈尊のお言葉を信じ、常に懴悔する気持ちを忘れず、私心なく善行を積むならば、その功徳によって私ばかりか、一切の衆生は救われるのです。三毒すらも、未来の幸せに続く善因となるのです。

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今日から秋のお彼岸です

今日は秋のお彼岸の入り(いり)でした。お彼岸は1年に2回あります。春と秋です。春は春分の日を真ん中にはさんだ7日間、秋は秋分の日を真ん中にはさんだ7日間です。「暑さ寒さも彼岸まで」と昔から言われます。暑かった夏もいよいよ終わり、今日からの1週間でグッと秋めいてくることでしょう。

入りということで、今日は20軒ほどのお墓参りの方々がお越しになりました。皆さんそれぞれに自分の家のお墓を掃除して、お花を手向けお線香をあげて手を合わせておられました。

お彼岸は、春分の日、秋分の日が土日に絡むと3連休になります。ご家族によっては、ゆっくりとできる貴重な連休ですね。行楽にもとても良いシーズンです。

しかしながら、お彼岸中を外しても構いませんので、春・秋にはぜひお墓参りをして下さい。お墓参りは、ご先祖様との縁を確かめる大切な時間です。気候の良いお彼岸の時期は、ゆっくりとお墓参りができる絶好の機会です。お参りをすれば、心もスッキリしますよ。
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秋の気配

台風18号によって被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

ここ杉並は、15日夜には警報が発令されました。強い風が吹き、雨はガラス窓を叩きつけました。全国各地、大変な被害がありました。京都・嵐山では桂川が増水していましたが、あのような桂川はかつて見たことがありません。

福井県敦賀市にある高速増殖炉もんじゅが、土砂崩れによって道が塞がれ孤立しています。なぜアクセスする道路が1本しかないのでしょうか? 今もんじゅで緊急事態が発生したらどうするのでしょうか? 怒りを超えて、あきれてしまいます。

私はといえば、昨日書いた通り、今日はお墓の掃除をしました。まだセミが鳴いていました。でも空は秋の気配。あの暑かった夏はどこへいったのでしょうか。もうすぐ秋彼岸です。

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台風が嫌いです

台風18号は愛知県に上陸して、東海、関東、東北を縦断し、岩手県沖へと抜けて行きました。空の便の欠航、鉄道各線の運行への影響、高速道路は各所で通行止めと、3連休の最終日は残念な1日になってしまいました。行楽の予定をされていた方には、予定変更を余儀なくされてしまった方も多かったのではないでしょうか。

私は台風が嫌いです。強い風を受けると、目にはゴミが入りますし、まっすぐ歩けないどころかむしろ飛ばされそうになりますし、瓦が落ちたり、卒塔婆建てがポッキリと折れることもあります。そして何と言っても、強い風の吹いた後には、たくさんの落ち葉とゴミが地面に散乱し、その掃除をしなくてはなりません。

もうすぐ秋のお彼岸です。お彼岸前には一通り墓地の掃除をいたします。ただ、この時期は台風シーズンと重なります。せっかくキレイに掃除をしても、数日後には掃除をする前以上に散らかってしまった、ということがあります。僧侶が掃除を嫌がってどうすんだ!というお叱りを受けそうですが、せっかく掃除をしたのに一からやり直しというのはガッカリさせられます。

墓地の全部を見渡して「うわぁ、この落ち葉を全部掃くのか…」と思ったら負けです。いっぺんに全部をキレイにすることなど不可能です。自分の足元を一つ一つキレイにしていけば、いずれは全てがキレイになります。「今、ここ」を見つめていくことが、大切なのですね。

修行の足りない私には「日々是好日」という心境にはほど遠いようです。
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第5回松ノ木手づくりマルシェ開催日

松ノ木手づくりマルシェ 開催日のお知らせです。

第5回 10月10日(木)8時~13時

ぜひ来て下さい。雨が降ったら中止になります。みなさん晴れるように祈って下さい!

※ 境内に駐車場はありません。お車の方は付近のコインパーキングを利用して下さい。
※ 自転車を止めるスペースが限られていますので、できるだけ徒歩でお越しください。
※ 出店者に変更がある場合がございます。facebookとブログでは、10月10日までフレキシブルにお知らせいたします。


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今までは人のことだと思うたが…

「今までは人のことだと思うたが 俺が死ぬとはこいつたまらん」(大田 南畝)

最近新聞などを読む時、目のピントが合いにくくなってきました。少し離すとピントが合うのですが、今度は字が小さすぎてよく読めないのです。

ああ、これが老眼ってやつかな。

と思っているのですが、そうなんでしょうか? 遠近両用?の眼鏡を買う必要があるんですかねぇ。

人間歳を取ると、若いころと同じというわけにはいかなくなります。握力が落ち、ひざが痛む。飲み食いすれば誤嚥が多くなり、トイレが近くなる。

他人事だと笑っているそこのあなた。老いや病は誰にでもやってくるものですよ。自分が歳を取ってくれば解ります。
エスカレーターの空いている側を勢い良く歩いているあなた。歳を取ると、それがどれだけ迷惑な行為なのかが解ります。
電車の優先席にどっかり陣取っている若いあなた。年寄りが電車の中で立っているのはキツイんですよ。
うちのばあちゃんは同じことを何遍も言うと怒るあなた。仕方ないです、忘れっぽくなるのですから。

老いや病は自分の身に直接降りかかってこなければ、本当には理解できません。骨折したことのない人に、その痛みの全部を伝えられないのと同じです。坐禅も実際に坐らなければ、禅定は得られません。

経験をすることができないもので最たるものが「死」です。死ぬという現象は、例外なく確実に一歩一歩近づいてきます。100%逃げられません。いつ訪れるのかも解らないのです。それなのに、私たちは予習できないのです。「死」こそ他人事ではいられません。では、私たちはどのようにして、死の恐怖に打ち克てばよいのでしょうか?

そのためには「死」は絶対に逃れられぬものと認識しましょう。これが大前提です。その上で、今やるべきことをしっかりやる。後回しはなるべく避けるのです。さらに、周囲に何を言われようが、自分のやりたいことをやる。仮に今死んだとしても、できなかったことへの後悔を少しでも減らすのです。こうして粛々と「死に往く準備」を整えておくのです。そのようにすれば、いつ死が訪れても、後悔の念が少なくなり、結果として、死に対する心構えができてくるのです。

「今日ありと思うて日々に油断すな 明日をも知れぬ露の命を」(慈鎮和尚)

と古人は詠っています。今に迷い、明日を憂うことのないように。他人事ではありません。自分自身のことなのですから。

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たからもの

東京FMで13時から放送中の「アポロン」、今日の「よ・み・き・か・せ」は『ボクとママのたからもの』(斉藤栄美 作/狩野ふきこ 絵 金の星社 ISBN-978-4-323-03211-5)でした。

ママがけんちゃんのおもちゃ箱を掃除していると、いろいろな変なモノが出てきます。石ころや干からびたミカンの皮、空っぽのお菓子の箱…。でもそれらは、けんちゃんにとっては思い出の物、すべてが宝物なのでした。

確かに! 私にも子供の時に経験があります。ビー玉、木の葉っぱ、セミの抜け殻などなど。大人になると何でもない物が、子供の時には大切な宝物なんですよね。

さて、禅宗の初祖・菩提達磨(ぼだいだるま)大師は、南インドの香至王(こうしおう)の第3王子として生まれました。ある時、国王は、釈尊から数えて第27祖にあたる般若多羅尊者(はんにゃたらそんじゃ)に対し、大変高価な宝珠を布施しました。尊者は、その宝珠を3人の王子たちに見せながら「この世の中で、この宝珠より勝れたものはあるか?」と質問をしました。
第1王子、第2王子は、ともに「これに勝る宝珠はありません。この一番尊い宝は、尊者のように勝れたお力をお持ちの方に所持して頂くことこそ、ふさわしいものです」と答えました。しかし、第3王子であった達磨大師は「この宝珠がどれほど素晴らしいと言っても、所詮はこの世の価値観によって見ているに過ぎません。最上に勝れたものは、仏法によって得られた心の光明です」と答えたといいます。この時、達磨大師は若干7才であったといいます。

仏教には三宝(さんぼう)という3つの宝物があります。悟った人(=仏)、教え(=法)、法を守り伝える人たち(=僧)のことです。

世間には、金銀宝石、おカネに権力、家族、恋人、友人と、いろいろな宝物がありますね。皆さんの宝物は何でしょうか。私は「家族」かなぁ。(仏法僧じゃ無いんかい!)
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永代供養・合祀塔「かんのんさまのみもと」

永代供養・合祀塔「かんのんさまのみもと」は、生前の方でも、過去に別の宗旨であった方でも、安心して納骨のできる合同供養墓です。聖観世音菩薩が末永く御霊を見守ります。

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● プランA:1霊位一式 50万円
1. ご遺骨を供養塔内の安置棚に収蔵いたします。
2. 個別墓誌(プレート)にお戒名、俗名、没年月日、行年を彫刻いたします。
3. 一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌にご供養をいたします。
4. 7月15日にお盆の合同供養法要をいたします。
5. ご希望の方にはお戒名を付与いたします。(信士、信女号)
6. 三十三回忌終了後、ご遺骨を供養塔内地下へ埋蔵いたします。

● プランB:1霊位一式 20万円
1. ご遺骨を供養塔内の地下に埋蔵いたします。
2. 個別墓誌(プレート)にお戒名、俗名、没年月日、行年を彫刻いたします。

※ プランAをご契約の場合には、信士、信女号のお戒名は無料で付与いたしますが、居士、大姉、院号をご希望の場合には、別にお戒名料をお納めいただきます。

※ プランAで三十三回忌以降、およびプランBでは、ご遺骨を地下に埋蔵するため、以後ご遺骨の取り出しはできません。

※ ご不明な点は当院にお問い合わせください。
杉並区松ノ木3−33−30 電話 03-3313-3754
右サイドバーにあるメールフォームからでもOKです。

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祝 2020年五輪東京開催に思う

2020年夏季オリンピックの開催都市が、東京に決まりました。スペインのマドリードは「経済危機」、トルコのイスタンブールは「政情不安」、東京は「放射能問題」と、それぞれに難題を抱えていた中で東京が当選したことは、粘り強い招致活動が結実したのでしょう。私たちは今回の結果におごること無く、スペイン、トルコ両国の方々を思いやる気持ちを、忘れてはならないと思います。

2020年に向けて、やるべきことをしっかり行い、東京オリンピックを成功させましょう。

未来になすべきことをあらかじめ心がけておるべきである。ーなすべき時に、わがなすべき仕事をそこなうことのないように。準備してなすべきことをつねに準備している人を、なすべき時になすべき仕事が害(そこな)うことはない。(感興(かんきょう)のことば 第16章 さまざまなこと より)

『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳(岩波書店 ISBN4-00-333021-8)

 

たいせつなのは どれだけたくさんのことをしたかではなく どれだけ心をこめたかです。

『マザー・テレサ 愛のことば』(女子パウロ会発行 ISBN4-7896-0493-4)
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9月の朝ヨガ & 坐禅会

9月7日(土)8時から、朝ヨガです。
また、8日(日)16時半から、定例坐禅会です。

気候不順ですから、バッグには折りたたみ傘を入れておくとよいかも、ですね。

「坐禅」牌、完成しました! 素晴らしい出来栄えですので、どうぞお楽しみに!

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月は明月の秋を知る 花は一様の春を知る

月は明月の秋を知る 花は一様の春を知る

今月は「中秋の名月」。今日まで荒天が多いので、最近は綺麗な月を眺められる日が少なく感じられます。さて中秋の名月はいかでしょうか。

花が花の本性を現じたる時、最も美なるが如く、人間が人間の本性を現じたる時は、美の頂上に達するのである。

『善の研究』西田幾多郎著(岩波書店)

月に本性はあるか? 花に本性はあるか? 趙州和尚の公案になぞらえれば「無」といったところ。

月が澄んだ空に冴え渡るのは、月がそうさせたわけでもなく、また月以外のものがそう意図したものではありません。月は自分が美しく輝く次期を、何もせずともちゃーんと心得ています。

春が来れば待ってましたとばかりに、花は咲います。美しく咲く花を見て、私たちの心は自然にほころびます。花の本性と、人間の本性がピタリと一致した瞬間です。

日本の春と秋は、実に素晴らしい季節だと思います。
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懺悔文

「懺悔文(さんげもん)」は、お通夜や授戒会で読まれるお経です。

懴悔とは、サンスクリット語の音写語「懴摩(さんま)」と、その意訳である「悔=許しを乞うこと」とを合わせた言葉です。自らが犯した罪を「布薩(ふさつ)」という儀式で告白し、戒律に則って裁きを受けることになっていました。

「懺悔文」のオリジナルは『華厳経普賢行願品』に在ります。また、その他の経典にも登場しますが、3句目の「従身口意之所生」は、すべて「従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)」となっております。


『懺悔文』

我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生 一切我今皆懺悔
(がしゃくしょぞうしょあくごう かいゆうむしとんじんち じゅうしんくいししょしょう いっさいがこんかいさんげ)



(題名)
『懺悔文』

(現代語意訳)
『許しを請う時に唱える経文』



(原文読み下し)
我れ昔より造る所のもろもろの悪業(あくごう)は、皆無始の貪瞋癡(とんじんち)に由る、身口意(しんくい)より生ずる所なり、一切、我れ、今、皆、懺悔したてまつる。

(意訳)
私がずっと前から作り続けている、いろいろな悪い行いは、すべて始まりのない過去世からの、深い欲望(貪欲)、怒りや憎しみ(瞋恚)、真実を見ぬおろかさ(愚癡)から由来するものであります。その悪業は、身体と口と心から生まれ続けています。私はただ今、一切の積みし悪業について、罪を告白して悔い改めます。


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