『観音経』(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)というお経があります。古今東西、観音経の信者は大変多く、禅僧も皆このお経を賛嘆しています。
観音経の内容は「災いに遭った時、困ったとき、何かを欲する時、観音菩薩の神通力を信じれば、困難は去り、願望は成就する」というものです。例えば、
観音の力を信じれば、大火の中にあっても焼かれない。
大海に漂流しても浅瀬に着く。
今まさに斬首刑になる時、刀がバラバラに折れてしまう。
商人が道中で賊に襲われても、その難を逃れられる。
女児が欲しいと思えば女児を授かり、男児が欲しいと思えば男児を授かる。
貪瞋癡(とんじんち。むさぼる、いかる、おろか。)の三毒から離れられる。
と、まあこんな具合です。これをそのまま解釈すれば「現世利益」をうたったお経であることがわかります。
観音経の中に
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦
(人々が計り知れないほどの困難に苦しんでいる時、観音菩薩のすぐれた智慧によって、人々を救ってくれる)
という偈があります。また曰く
諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散
(訴訟にあったり、また、戦場にあって恐怖をおぼえた時、観音菩薩の力を念ずれば、人々の持つ恨みや憎しみは消え去るであろう)
とあります。
今日8月15日は終戦記念日。今年は終戦70年という節目を迎えました。第二次世界大戦の6年間で、死者数は全世界で6,000万〜8,500万人に及びました(wikipedia より)。日本人の死者は310万人だそうです。これだけの犠牲者が出る前に、何か手立てはなかったのでしょうか? 日本が降伏を決断しなかった結果として、8月6日と9日に原子爆弾を落とされました。多くの無辜の民が犠牲となりました。アメリカは、戦争を集結させるために不可避だった、と言いますが、そんな都合の良い言い訳は許せません。
肉親、夫を兵隊に取られた家族は、無事の帰還を祈り、仏壇の前で手を合わせ観音経を読んでいたことでしょう。その思いはどれだけ届いたでしょうか…。「衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」と言っておきながら、観音菩薩は私を救ってくれなかったではないか、「念彼観音力」などと唱えたって、観音菩薩は息子を、夫を救ってはくださらなかったではないか、と嘆いた人もいたことでしょう。
観音菩薩とは一体何者なのでしょうか? 目には見えないけれども私たちを見てくださっているものですか? それは正しい答えではありますが、自分自身が観音菩薩であるとも言えます。観音菩薩を信じることは、自己を信じることと同じです。
観音経は、表向きは「現世利益」のことしか書かれておりませんが、観音菩薩を「自分自身」と捉えることによって「慈悲の実践」を説いた教えだということに気づきます。
結局、あの戦争とは何だったのか? その問いを私たちは未来永劫持ち続けなければならないでしょう。間違いなく言えることは「戦争は二度としてはならない」ということです。戦争がいかに悲惨なものであるかを、子から孫へ、子々孫々語り継がなくてはなりません。自分を信じる者、智慧ある者は、それを知っています。
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