坐禅儀 #17
(原文17)
故に円覚経に云わく、無礙清浄の慧は、皆な禅定に依って生ずと。法華経に云わく、閑處に在って其の心を修摂し、安住不動なること須弥山の如しと。
(ゆえにえんがくきょうにいわく、むげしょうじょうのえは、みなぜんじょうによってしょうずと。ほけきょうにいわく、かんじょにあってそのしんをしゅせつし、あんじゅうふどうなることしゅみせんのごとしと。)
(意訳17)
『円覚経』には、「なにものにもとらわれない清浄な心は、禅定力から生まれる」とある。また『法華経』には、「静かなる心を集注して、あわてず騒がず須弥山のようにどっしり構える」とある。
故に円覚経に云わく、無礙清浄の慧は、皆な禅定に依って生ずと。法華経に云わく、閑處に在って其の心を修摂し、安住不動なること須弥山の如しと。
(ゆえにえんがくきょうにいわく、むげしょうじょうのえは、みなぜんじょうによってしょうずと。ほけきょうにいわく、かんじょにあってそのしんをしゅせつし、あんじゅうふどうなることしゅみせんのごとしと。)
(意訳17)
『円覚経』には、「なにものにもとらわれない清浄な心は、禅定力から生まれる」とある。また『法華経』には、「静かなる心を集注して、あわてず騒がず須弥山のようにどっしり構える」とある。
since 2004/6/1 - last modified 2013/8/29
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