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坐禅儀 #18

(原文18)
是に知んぬ、凡を超え聖を越えることは必ず静縁を假り、坐脱立亡は須らく定力に憑るべし。一生取辨するも尚お蹉跎たらんことを恐る。況んや乃ち遷延せば、何を将てか業に敵せん。故に古人云わく、若し定力無くんば死門に甘伏し、目を掩って空しく帰り、宛然として流浪せんと。

(ここにしんぬ、ぼんをこえしょうをこえることはかならずじょうえんをかり、ざだつりゅうぼうはすべからくじょうりきによるべし。いっしょうしゅべんするもなおさだたらんことをおそる。いわんやすなわちせんえんせば、なにをもってかごうにてきせん。ゆえにこじんいわく、もしじょうりきなくんばしもんにかんぷくし、まなこをおおってむなしくかえり、えんねんとしてるろうせんと。)



(意訳18)
そして大切なのは、凡人だ、聖人だ、といった区別など超越して、迷いも、さとりも、一体となるのだ。そのためには、禅定力が必要不可欠なのである。過去の高僧は、坐禅の姿で亡くなったり、立ったまま亡くなったりしているが、これなどは誠に見事な禅定力による働きである。人間の一生は短い。つまずくことも多い。その上だらだらと過ごしていては、いずれどんなバチが当たることか。昔の人はこう言われた。「禅定力の無い者は、死のお迎えが来たときに、慌ててうろたえるが、あたふたとするばかりで、どうすることもできない」と。

since 2004/6/1 - last modified 2013/8/29

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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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