白隠禅師坐禅和讃 #6

(原文6)
一座の功をなす人も。積みし無量の罪ほろぶ。悪趣いずくに有ぬべき。浄土即ち遠からず。

(いちざのこうをなすひとも。つみ むりょうのつみほろぶ。あくしゅいずくにありぬべき。じょうどすなわちとおからず。)



(意訳6)
例えば、たった一度の坐禅経験でも、その坐禅が真剣な坐禅であったならば、その功徳はいくつもの悪行を消し去るに値します。なぜかと言えば、正しい坐禅は、強大な禅定力(ぜんじょうりき)を養うことができるからです。
果たして、3つの悪趣など、どこに存在するのでしょうか? 西方十万億仏国土(さいほうじゅうまんおくぶっこくど)の彼方に、阿弥陀如来(あみだにょらい)の住む極楽浄土(ごくらくじょうど)がある、と言われていますが、そんな気の遠くなるような世界に行けるとでもいうのでしょうか? ひとたび坐禅をするならば、それは私たちの妄想に過ぎないことが解るはずです。なぜなら、坐禅をしている間は、心は静寂であります。静寂な心の中が、極楽浄土そのものだからです。禅定力があれば、どんなに汚れた世の中にいても、この場所がそのまま清浄なる世界であることに気付き、阿弥陀如来と自分とが一体であることに気付くからです。

since 2005/1/27 - last modified 2014/4/19


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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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