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白隠禅師坐禅和讃 #8

(原文8)
いわんや自ら回向して。直に自性を証すれば。自性即ち無性にて。すでに戯論を離れたり。

(いわんやみずからえこうして。じきにじしょうをしょうすれば。じしょうすなわちむしょうにて。すでにけろんをはなれたり。)



(意訳8)
ましてや、自ら率先して読経をして、その功徳を、世の中一切全てのものに与えたい、と願うなら、その慈悲心こそが仏心に他ならないのです。私たちには、真実の清浄な心が備わっていたのだ、と確信するはずです。その真実の心に、聖人・凡人の区別があるのでしょうか? このような区別や、善悪などの差別を超越した、ただ1つの仏心があるのみです。
その仏心は、形なく、得ることも、失うこともない、老若男女の別もない、生まれたままの純粋な心、捉えようにも捉えようのない、無心の心であります。そう自覚して得られた仏心は、他人には説明のしようがない、説明など不要な仏心であります。

since 2005/1/27 - last modified 2005/3/17


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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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