白隠禅師坐禅和讃 #11
(原文11)
此の時何をか求むべき。寂滅現前するゆえに。当処即ち蓮華国。此の身即ち仏なり。
(このときなにをかもとむべき。じゃくめつげんぜんするゆえに。とうしょすなわちれんげこく。このみすなわちほとけなり。)
(『坐禅和讃』おわり)
(意訳11)
ここまでくれば、もう迷うことはありません。真実を、遠く離れたところに求める必要はありません。求めるどころか、おのずから目の前に広がっているのです。苦しみは消滅し、無念無相の世界が、静かなる大海のように広がっているのです。
私たちの日常そのものが浄土であり、日々が好日にして、幸せな毎日です。眼で見ること、耳で聞き取ること、身体で感じること、その全てが、仏祖と何ら変わらない生活であり、この自分自身こそが「仏心」そのものなのです。
(『坐禅和讃』おわり)
此の時何をか求むべき。寂滅現前するゆえに。当処即ち蓮華国。此の身即ち仏なり。
(このときなにをかもとむべき。じゃくめつげんぜんするゆえに。とうしょすなわちれんげこく。このみすなわちほとけなり。)
(『坐禅和讃』おわり)
(意訳11)
ここまでくれば、もう迷うことはありません。真実を、遠く離れたところに求める必要はありません。求めるどころか、おのずから目の前に広がっているのです。苦しみは消滅し、無念無相の世界が、静かなる大海のように広がっているのです。
私たちの日常そのものが浄土であり、日々が好日にして、幸せな毎日です。眼で見ること、耳で聞き取ること、身体で感じること、その全てが、仏祖と何ら変わらない生活であり、この自分自身こそが「仏心」そのものなのです。
(『坐禅和讃』おわり)
since 2005/1/27 - last modified 2014/4/19
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