無相大師遺誡 #1

妙心開山無相大師遺誡

宿昔吾大應老祖正元之間超風波大難地蚤入宋域遇着虚堂老禅于淨慈、眞參實證末後徑山盡其蘊奥是故得路頭再過之稱受兒孫日多之記單傳楊岐正脉吾於朝者老祖之功也、次先師大燈老人參得老祖于西京侍者京輦巨峯其随從之際、脇不到席者多年頗有古尊宿風、卒受老祖淵粋命長養者二十年、果彰大應遠大之高徳起佛祖已墜之綱宗殘眞風不地遺誡鞭策後昆者先師之功也、老僧爰受花園仙帝敕請創開此山先師嚼飯養嬰兒、後昆直饒有忘却老僧之日、忘却應燈二祖深恩不老僧兒孫、汝等請務其本、白雲感百丈之大功虎丘歎白雲之遺訓、先規如茲誤而莫摘葉尋枝好。



(題名)
『妙心開山無相大師遺誡』

(現代語解釈)
『大本山妙心寺開山・無相大師関山慧玄禅師が残された後人への訓戒』



(原文1)
宿昔吾が大應老祖正元の間、風波大難の地を超えて、蚤に宋域に入って虚堂老禅に淨慈に遇着して真参実証、末後径山にその蘊奥を尽くす。

(むかしわがだいおうろうそしょうげんのあいだ、ふうはだいなんのちをこえて、つとにそういきにいってきどうろうぜんにじんずにぐうじゃくしてしんさんじっしょう、まつごきんざんにそのうんのうをつくす。)



(意訳1)
その昔、先々代の師匠である大應国師・南浦紹明禅師は、正元元年(1259)に、荒れ狂う海を越え、険しい山中を歩き、大変な苦労を重ねて中国・宋へと渡った。
いくつかの寺院に参問した後、今の浙江省杭州にある淨慈寺に辿り着き、そこで虚堂智愚禅師と出会った。
大應国師は、虚堂智愚禅師のもとに留まって参禅工夫を実践され、虚堂智愚禅師が径山万寿寺に移られると、国師も虚堂智愚禅師に随従し、径山に修行の場を移し、そしてついに大悟徹底された。

since 2005/3/17 - last modified 2013/8/29



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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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