無相大師遺誡 #2
(原文2)
是の故に路頭再過の称を得て、児孫日多の記を受け、楊岐の正脈を吾が朝に単伝する者は、老祖の功なり。
(このゆえにろとうさいかのしょうをえて、じそんにったのきをうけ、ようぎのしょうみゃくをわがちょうにたんでんするものは、ろうそのこうなり。)
(意訳2)
大悟された大應国師は、その2年後に虚堂智愚禅師に暇を告げ、帰国することとなった。帰国する際、虚堂智愚禅師からの手紙、いわゆる「児孫日多の記」を受け取った。それは『涅槃(宋)の道を極め、再びもと(日本)の道へ帰ってゆく』と人徳を称えられ、『わが弟子はこれから先、日ごと多くの高徳を輩出するであろう』という期待の言葉が書かれたものである。
こうして国師は、文永4年(1267)に帰国され、この臨済宗楊岐派の正法を、わが国に直伝された。まさに大應国師の功績は計り知れない。
是の故に路頭再過の称を得て、児孫日多の記を受け、楊岐の正脈を吾が朝に単伝する者は、老祖の功なり。
(このゆえにろとうさいかのしょうをえて、じそんにったのきをうけ、ようぎのしょうみゃくをわがちょうにたんでんするものは、ろうそのこうなり。)
(意訳2)
大悟された大應国師は、その2年後に虚堂智愚禅師に暇を告げ、帰国することとなった。帰国する際、虚堂智愚禅師からの手紙、いわゆる「児孫日多の記」を受け取った。それは『涅槃(宋)の道を極め、再びもと(日本)の道へ帰ってゆく』と人徳を称えられ、『わが弟子はこれから先、日ごと多くの高徳を輩出するであろう』という期待の言葉が書かれたものである。
こうして国師は、文永4年(1267)に帰国され、この臨済宗楊岐派の正法を、わが国に直伝された。まさに大應国師の功績は計り知れない。
since 2005/3/17 - last modified 2013/8/29
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