般若心経 #4
(原文書き下し4)
舎利子、この諸法は空相にして、 生ぜず滅せず、垢つかず浄らかならず、増さず減らず。
(意訳4)
シャーリプトラよ。今まで言ってきたように、この世の中の道理として、形としてとらえられるものも、心の領域の作用も、不変のもの、永遠のものはなく、「すべてが実体なく形なくして、仮に結びついて現れている存在(=空相)」という、「色と空は不二平等、表裏一体」であるのですから、例えばあなたの「心」について言うならば、「心」が生まれたり、死んだり、汚れたり、きれいになったりする、ということは、言い方や行動として表れることはあっても、「心」というものが実体として、目の前に出ることはありません。また、「心」がもう一つ増えた、ということはありえず、逆に一つ減ってなくなった、ということも考えられません。なぜかといえば、「心」というものには、数えるべき実体というものもなければ、真実当体のありかをズバリとらえられるものでもないからです。何事も「モノ」という概念にとらわれるから、増減、好き嫌い、苦楽、あるなし、という二種分別の妄想が起こるので、これらを空ととらえるならば、元より不二平等であり、分け隔てのできるはずもないのです。
舎利子、この諸法は空相にして、 生ぜず滅せず、垢つかず浄らかならず、増さず減らず。
(意訳4)
シャーリプトラよ。今まで言ってきたように、この世の中の道理として、形としてとらえられるものも、心の領域の作用も、不変のもの、永遠のものはなく、「すべてが実体なく形なくして、仮に結びついて現れている存在(=空相)」という、「色と空は不二平等、表裏一体」であるのですから、例えばあなたの「心」について言うならば、「心」が生まれたり、死んだり、汚れたり、きれいになったりする、ということは、言い方や行動として表れることはあっても、「心」というものが実体として、目の前に出ることはありません。また、「心」がもう一つ増えた、ということはありえず、逆に一つ減ってなくなった、ということも考えられません。なぜかといえば、「心」というものには、数えるべき実体というものもなければ、真実当体のありかをズバリとらえられるものでもないからです。何事も「モノ」という概念にとらわれるから、増減、好き嫌い、苦楽、あるなし、という二種分別の妄想が起こるので、これらを空ととらえるならば、元より不二平等であり、分け隔てのできるはずもないのです。
since 2004/8/29 - last modified 2005/3/17
- 関連記事
-
- 般若心経 #2 (2013/08/28)
- 般若心経 #3 (2013/08/28)
- 般若心経 #4 (2013/08/28)
- 般若心経 #5 (2013/08/28)
- 般若心経 #6 (2013/08/28)