開目・閉目について 総括

目を閉じると、瞑想に入りやすいという利点がありますが、その反面、1,妄想を起こす、2,寝てしまう恐れがある、という重大な欠点があります。

目を閉じることを可としているのは、観相念仏の坐禅の場合です。念仏の場合には、「仏の相を観じる」という確固たる目的があるため、「目を閉じていても妄想が起きにくいから」という理由と、「インド伝来の瞑想に準じた方法である」という理由によるものでしょう。

禅宗の「坐禅」は、観相念仏ではなく、無念無想による心の安定を目的としているため、妄想や昏睡を特に戒めます。これは当に目を閉じた時の欠点と合致するため、目を閉じることを完全否定するに至ります。

余計な光を遮るためには、眼は若干閉じた方がいいですし、眩しければ自然に視線も落ちます。このような眼の状態は、いわゆる「半眼」と言えるでしょう。

『坐禅儀』の記述だけを見ると、自分で意識して半眼にするような書き方ですが、実際には「光を遮ること」と「眠らないように」という2点が、背景にあるものと考えられます。その点では、曹洞宗の各底本も同様でしょう。

過去の経本から順を追って考え、そして禅宗の坐禅に当てはめていくと、大きく開けすぎず、閉じず、リラックスした状態が正しい目の開け方で、光が邪魔をするのならば、適度にまぶたを落とした楽な状態にして、そして前方をぼんやり眺めるようにする、というのが一番良い方法である、となります。

大きく目を開けてはいけない。→ 疲れるため。
閉じてはいけない。→ 寝てしまうし、妄想が起こりやすい。
意識して半眼にしない。→ 余計な光を遮る程度に、まぶたを落とすことは可。
ということになります。

視線については触れませんでしたが、「1メートル程前方に落とす」という意識を持つより、上記3点に則った形で、自然に前方へ目線をおく、ということで良いのではないでしょうか。

since 2005/4/12 - last modified 2005/4/18


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