小止観 坐禅前の5カ条
『小止観』の第1章では、坐禅修行のための下準備について述べられています。生活態度や環境などについて、修行を円滑に進めるための「条件」とも言えます。
1.持戒清浄(じかいしょうじょう)
(内容)清く正しい心を持ち、身辺の清潔を守ること。正しい生活態度・純粋な心があってこそ、正しい禅定・智慧が生まれる。
もしも自分の日常を省みて、心身清浄ではないと思ったら、これ以降の日常生活を改めること。反省をして、善悪をよくわきまえ、信心を深くし、仏法を理解し、読経などを実践する。このような努力を行えば、やがて心身清浄になるであろう。
(解説)これはそのまま現代の生活に当てはめて、同様に実践すればよいでしょう。自分自身への戒めを持ち、素直に坐禅に励もうとするならば、仏教に対する正しい理解が得られるでしょう。
2.衣食具足(えじきぐそく)
(内容)必要充分な衣類と食事。衣類は、インドや中国での修行生活における衣類の種類をあげ、余計な衣類を持つことを戒めている。食事についても同様に、托鉢で得た食物や、信者から施された食物などを頂くように、と注意している。
(解説)内容がインド・中国の出家修行者向けであり、私たちにはそのまま通用しません。そこで、これを現代に則して言い換えれば、
「服装は、季節にあった清潔なもの。食事は、暴飲暴食を避け、贅沢を自重する。衣食両方に、必要以上のものを求めず(足りている、ということを自覚する)、感謝の念を忘れない。」
という感じになるでしょうか。
3.閑居静処(げんごじょうしょ)
(内容)仕事をせず、心が乱されない・周囲が騒がしくない環境に住む。山奥や道場で過ごすこと。
(解説)ここも出家修行者向けです。町や村など人が居住する地域では、どうしても雑音に惑わされるので、静かなところで暮らすことを勧めているわけです。つまり、心を集中しやすくするためには、周囲の環境を整えることは必要だ、ということです。
もし私たちが坐禅をするのならば、比較的静かで、空気のきれいな早朝や、境内地の広い寺院や坐禅道場で行うのが、最も心を集中しやすい、とだけ覚えておきましょう。
4.息諸縁務(そくしょえんむ)
(内容)生活生計のための仕事、大工・医療・会計など専門知識や技術のある仕事、人とのつき合い、読書などの学問、これらをすべて放棄すること。なぜなら、これらを実行している時間は、修行ができないからであり、また、修行に入っても心が落ち着かず、精神統一をしにくいからである。
(解説)「坐禅」に集中していると、確かに心は落ち着くのですが、「そういえば隣の奥さんに貸したタッパーが返ってこない」とか「明日の株価は上がるだろうか」とか、普段は考えもしないことや忘れていたことなど、余計な考えが頭に浮かんできます。私たちは普段、「仕事」「家庭」という具合に、時間や状況に応じて、気持ちや身体を切り替えます。同じように「坐禅」に気持ちを切り替えて、精神統一を行おうと考えますが、雑念が邪魔をしてきます。
「諸縁をやすむ」とは、修行の後退を防ぐことと、雑念に対する防衛手段でありますが、修行道場へ入門しない限り、実践不可能です。私たちが俗人のまま坐禅を行う時、雑念克服の努力は、修行僧よりも厳しいものであるといえます。
5.近善知識(きんぜんちしき)
(内容)良き指導者、良き修行仲間、良き理解者を得ること。
(解説)例えば「仕事」に当てはめて考えましょう。尊敬できるトップがいて、仕事やプライベートで協調し、助けてくれる友人がいる。さらに、衣食住をサポートし、仕事の成功を喜んでくれる家族がいる。
仕事でも修行でも、多くの良縁に恵まれてこその成功・成就であります。決して自己の慢心・独りよがりになってはいけません。
6.5ヵ条の意義
『坐禅儀』を見ると、この5ヵ条が所々に組み込まれています。しかし、『小止観』ほど丁寧ではありません。時代に即して、記述を改めていると言えます。
このように、現代人が坐禅をする場合にも、その意味を読み替えねばなりません。たとえ出家修行をしなくとも、心構えとして知っておくことは、大変意義のあることです。坐禅をする時だけ「修行モード」に入るのではなく、日頃の心がけ一つで、坐禅の密度が変わってくることを覚えておきましょう。
■参考文献
『天台小止観~仏教の瞑想法』/新田雅章 著/春秋社
『現代語訳 天台小止観』/関口真大 訳/大東出版社
1.持戒清浄(じかいしょうじょう)
(内容)清く正しい心を持ち、身辺の清潔を守ること。正しい生活態度・純粋な心があってこそ、正しい禅定・智慧が生まれる。
もしも自分の日常を省みて、心身清浄ではないと思ったら、これ以降の日常生活を改めること。反省をして、善悪をよくわきまえ、信心を深くし、仏法を理解し、読経などを実践する。このような努力を行えば、やがて心身清浄になるであろう。
(解説)これはそのまま現代の生活に当てはめて、同様に実践すればよいでしょう。自分自身への戒めを持ち、素直に坐禅に励もうとするならば、仏教に対する正しい理解が得られるでしょう。
2.衣食具足(えじきぐそく)
(内容)必要充分な衣類と食事。衣類は、インドや中国での修行生活における衣類の種類をあげ、余計な衣類を持つことを戒めている。食事についても同様に、托鉢で得た食物や、信者から施された食物などを頂くように、と注意している。
(解説)内容がインド・中国の出家修行者向けであり、私たちにはそのまま通用しません。そこで、これを現代に則して言い換えれば、
「服装は、季節にあった清潔なもの。食事は、暴飲暴食を避け、贅沢を自重する。衣食両方に、必要以上のものを求めず(足りている、ということを自覚する)、感謝の念を忘れない。」
という感じになるでしょうか。
3.閑居静処(げんごじょうしょ)
(内容)仕事をせず、心が乱されない・周囲が騒がしくない環境に住む。山奥や道場で過ごすこと。
(解説)ここも出家修行者向けです。町や村など人が居住する地域では、どうしても雑音に惑わされるので、静かなところで暮らすことを勧めているわけです。つまり、心を集中しやすくするためには、周囲の環境を整えることは必要だ、ということです。
もし私たちが坐禅をするのならば、比較的静かで、空気のきれいな早朝や、境内地の広い寺院や坐禅道場で行うのが、最も心を集中しやすい、とだけ覚えておきましょう。
4.息諸縁務(そくしょえんむ)
(内容)生活生計のための仕事、大工・医療・会計など専門知識や技術のある仕事、人とのつき合い、読書などの学問、これらをすべて放棄すること。なぜなら、これらを実行している時間は、修行ができないからであり、また、修行に入っても心が落ち着かず、精神統一をしにくいからである。
(解説)「坐禅」に集中していると、確かに心は落ち着くのですが、「そういえば隣の奥さんに貸したタッパーが返ってこない」とか「明日の株価は上がるだろうか」とか、普段は考えもしないことや忘れていたことなど、余計な考えが頭に浮かんできます。私たちは普段、「仕事」「家庭」という具合に、時間や状況に応じて、気持ちや身体を切り替えます。同じように「坐禅」に気持ちを切り替えて、精神統一を行おうと考えますが、雑念が邪魔をしてきます。
「諸縁をやすむ」とは、修行の後退を防ぐことと、雑念に対する防衛手段でありますが、修行道場へ入門しない限り、実践不可能です。私たちが俗人のまま坐禅を行う時、雑念克服の努力は、修行僧よりも厳しいものであるといえます。
5.近善知識(きんぜんちしき)
(内容)良き指導者、良き修行仲間、良き理解者を得ること。
(解説)例えば「仕事」に当てはめて考えましょう。尊敬できるトップがいて、仕事やプライベートで協調し、助けてくれる友人がいる。さらに、衣食住をサポートし、仕事の成功を喜んでくれる家族がいる。
仕事でも修行でも、多くの良縁に恵まれてこその成功・成就であります。決して自己の慢心・独りよがりになってはいけません。
6.5ヵ条の意義
『坐禅儀』を見ると、この5ヵ条が所々に組み込まれています。しかし、『小止観』ほど丁寧ではありません。時代に即して、記述を改めていると言えます。
このように、現代人が坐禅をする場合にも、その意味を読み替えねばなりません。たとえ出家修行をしなくとも、心構えとして知っておくことは、大変意義のあることです。坐禅をする時だけ「修行モード」に入るのではなく、日頃の心がけ一つで、坐禅の密度が変わってくることを覚えておきましょう。
■参考文献
『天台小止観~仏教の瞑想法』/新田雅章 著/春秋社
『現代語訳 天台小止観』/関口真大 訳/大東出版社
since 2004/6/11 - last modified 2005/7/2
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