懺悔文
「懺悔文(さんげもん)」は、お通夜や授戒会で読まれるお経です。
懴悔とは、サンスクリット語の音写語「懴摩(さんま)」と、その意訳である「悔=許しを乞うこと」とを合わせた言葉です。自らが犯した罪を「布薩(ふさつ)」という儀式で告白し、戒律に則って裁きを受けることになっていました。
「懺悔文」のオリジナルは『華厳経普賢行願品』に在ります。また、その他の経典にも登場しますが、3句目の「従身口意之所生」は、すべて「従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)」となっております。
『懺悔文』
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生 一切我今皆懺悔
(がしゃくしょぞうしょあくごう かいゆうむしとんじんち じゅうしんくいししょしょう いっさいがこんかいさんげ)
(題名)
『懺悔文』
(現代語意訳)
『許しを請う時に唱える経文』
(原文読み下し)
我れ昔より造る所のもろもろの悪業(あくごう)は、皆無始の貪瞋癡(とんじんち)に由る、身口意(しんくい)より生ずる所なり、一切、我れ、今、皆、懺悔したてまつる。
(意訳)
私がずっと前から作り続けている、いろいろな悪い行いは、すべて始まりのない過去世からの、深い欲望(貪欲)、怒りや憎しみ(瞋恚)、真実を見ぬおろかさ(愚癡)から由来するものであります。その悪業は、身体と口と心から生まれ続けています。私はただ今、一切の積みし悪業について、罪を告白して悔い改めます。
懴悔とは、サンスクリット語の音写語「懴摩(さんま)」と、その意訳である「悔=許しを乞うこと」とを合わせた言葉です。自らが犯した罪を「布薩(ふさつ)」という儀式で告白し、戒律に則って裁きを受けることになっていました。
「懺悔文」のオリジナルは『華厳経普賢行願品』に在ります。また、その他の経典にも登場しますが、3句目の「従身口意之所生」は、すべて「従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)」となっております。
『懺悔文』
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生 一切我今皆懺悔
(がしゃくしょぞうしょあくごう かいゆうむしとんじんち じゅうしんくいししょしょう いっさいがこんかいさんげ)
(題名)
『懺悔文』
(現代語意訳)
『許しを請う時に唱える経文』
(原文読み下し)
我れ昔より造る所のもろもろの悪業(あくごう)は、皆無始の貪瞋癡(とんじんち)に由る、身口意(しんくい)より生ずる所なり、一切、我れ、今、皆、懺悔したてまつる。
(意訳)
私がずっと前から作り続けている、いろいろな悪い行いは、すべて始まりのない過去世からの、深い欲望(貪欲)、怒りや憎しみ(瞋恚)、真実を見ぬおろかさ(愚癡)から由来するものであります。その悪業は、身体と口と心から生まれ続けています。私はただ今、一切の積みし悪業について、罪を告白して悔い改めます。