今までは人のことだと思うたが…

「今までは人のことだと思うたが 俺が死ぬとはこいつたまらん」(大田 南畝)

最近新聞などを読む時、目のピントが合いにくくなってきました。少し離すとピントが合うのですが、今度は字が小さすぎてよく読めないのです。

ああ、これが老眼ってやつかな。

と思っているのですが、そうなんでしょうか? 遠近両用?の眼鏡を買う必要があるんですかねぇ。

人間歳を取ると、若いころと同じというわけにはいかなくなります。握力が落ち、ひざが痛む。飲み食いすれば誤嚥が多くなり、トイレが近くなる。

他人事だと笑っているそこのあなた。老いや病は誰にでもやってくるものですよ。自分が歳を取ってくれば解ります。
エスカレーターの空いている側を勢い良く歩いているあなた。歳を取ると、それがどれだけ迷惑な行為なのかが解ります。
電車の優先席にどっかり陣取っている若いあなた。年寄りが電車の中で立っているのはキツイんですよ。
うちのばあちゃんは同じことを何遍も言うと怒るあなた。仕方ないです、忘れっぽくなるのですから。

老いや病は自分の身に直接降りかかってこなければ、本当には理解できません。骨折したことのない人に、その痛みの全部を伝えられないのと同じです。坐禅も実際に坐らなければ、禅定は得られません。

経験をすることができないもので最たるものが「死」です。死ぬという現象は、例外なく確実に一歩一歩近づいてきます。100%逃げられません。いつ訪れるのかも解らないのです。それなのに、私たちは予習できないのです。「死」こそ他人事ではいられません。では、私たちはどのようにして、死の恐怖に打ち克てばよいのでしょうか?

そのためには「死」は絶対に逃れられぬものと認識しましょう。これが大前提です。その上で、今やるべきことをしっかりやる。後回しはなるべく避けるのです。さらに、周囲に何を言われようが、自分のやりたいことをやる。仮に今死んだとしても、できなかったことへの後悔を少しでも減らすのです。こうして粛々と「死に往く準備」を整えておくのです。そのようにすれば、いつ死が訪れても、後悔の念が少なくなり、結果として、死に対する心構えができてくるのです。

「今日ありと思うて日々に油断すな 明日をも知れぬ露の命を」(慈鎮和尚)

と古人は詠っています。今に迷い、明日を憂うことのないように。他人事ではありません。自分自身のことなのですから。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

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