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被災地の寺の落慶式 〜参列して思ったこと〜

平成30年3月4日、親戚の寺の本堂・庫裏落慶式ならびに先住職夫妻の7回忌および寺族の供養法要に参列させていただいた。場所は宮城県の、とある地。7年前の東日本大震災で、津波によって大変甚大な被害を被ったところだ。

7年前、津波で流された本堂は、それを遡ること7年前に新築したばかりだった。先住職が「仙台は地震が多い地域だから、大きな地震が来ても大丈夫なように、頑丈に建てた」という本堂は、柱だけを残して、先住職夫妻を巻き添えにして、波にさらわれてしまった。確かに地震には耐えたのだ。

その地域の復興は、「地域全体を盛り土によってかさ上げする」という計画だ。波が襲ってきても大丈夫なように、地面全体を持ち上げる、そんな途方もない計画の実現が可能なのか? 長年そう思っていた。新幹線の駅を降り、タクシーで海の方へ向かっていくと、徐々に建物は少なくなり、また、新築の家が多く見られるようになる。真っ直ぐな新しい道路が続き、やがて川の堤防のような地面が全体的に見えてきた。かさ上げ工事は実際に行われていた。

その寺は、かさ上げされた土地に建っている。元々あった場所だ。立派な本堂と庫裏、整備された境内に、整然と並ぶ墓地。7年でよくぞここまで復興ができたものだ。住職、寺族、檀信徒皆様、地域の皆様の力に心から感服した。

本堂の内部も本当に立派だった。ただし、一般的な新築の本堂とは一点だけ異なっている。先ほど「柱だけを残して」と書いた。主要な柱は、以前に新築した本堂の柱を「再利用」したのだ。盛り土によってかさ上げしたところに、再び基礎を打ち、その柱を改めて立てて再建した。その柱には、上から下までいくつものスリ傷が付いている。傷だらけだ。そう、波で流れてきたもの、クルマや、家や、電柱が、その傷を付けたのだ。

そしてもう一つ、墓地を見て驚いたことがある。新しい墓石が並んでいる墓地。その中のいくつかの墓を見ると、竿石にハッキリとした大きな傷が付いていたり、欠けた墓誌が建っている墓があった。震災直後、墓地はめちゃくちゃになり、墓石が散乱していた。その中から自分の家の墓石を探し出し、それを使って建て直したのだろう。こんなことは全く想像していなかった。言葉を失った。

この落慶式には、多くの人が参列した。本堂の再建は、みんなの宿願であったことは確かだ。落慶式を迎えて、檀信徒、地域の人、親族縁者、嬉しかったと思う。だけれども、その嬉しさというか、嬉々とした表情があまり見られず、祝い事特有のざわついた雰囲気を感じることはなかった。亡くなられた先住職夫妻の供養と、震災の被災者の供養が同時に行われたということもあるだろうし、第一、ここにいるほとんどの人たちが、家族や親類や知人を亡くしているのだから無理もない。住職もおっしゃっていた、「嬉しさ半分」と。震災の傷跡は、本堂の柱を見るまでもなく、この地域の人たちの心に、深く刻まれてしまったのだろう。

帰りは親戚のクルマで、仙台駅まで送ってもらった。行きには気が付かなかったのだが、寺の周囲には、新築のマンションが数棟並んでいて、また、新築の戸建住宅が建ち並んでいた。しかしながら、入居者は少ないようだし、この地に再び帰ってこない人も多いのだそうだ。道路はあちこち工事中で、案内標識は立っていない。盛り土もかなり多くの場所にある。クルマを走らせていくと、場所によっては、何もない更地が地平線まで続いている。そこにたった1台だけ止まっている大型重機が、その荒涼とした土地をことさら奇異に映し出していた。

東京では、2020年のオリンピックで盛り上がろうとしているが、本当にオリンピックを今行う必要があるのだろうか?「7年経っても、まだこんなだもんね。復興なんていつまでかかるのか。東北なんて、みんな忘れちゃってるよね」悲痛な叫びを、初めて実感した。この日まで震災後に東北に行かなかったことを恥じた。この落慶式に参列していなかったら、傷だらけの柱もお墓も、一生見ることがなかったかもしれない。

この地域で犠牲になった人は、約750名。その内、寺の檀信徒は200名以上。もうすぐ、8回目の3月11日がやってくる。
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