念仏行の教え その1

五胡十六国時代(316~439)、鳩摩羅什によって翻訳された『禅秘要法経』には、罪業を除く修行方法としての、念仏坐禅の仕方が書かれています。ここで言う「念仏」とは、浄土宗系が行う「称名念仏」=「なむあみだぶつ」と口で称える念仏のことではなく、仏の相や功徳を心に思い浮かべ、集注する修行のことです。

「念仏をする時は、身を正して座り、掌を合わせて胸に当て、眼を閉じ、舌を上顎につける。そして、ひたすらに心を集注させ、仏の相を念ずる。」

とあります。この前後に「開眼」の記述がないことについて、西義雄教授は『仏教文化 第2巻 第2号』誌上「坐禅と瞑想」の論文中で、『「閉眼」とのみあるのは、その前后を省略したのか或は前后の文句を脱落したか、』と指摘されています。

同じく鳩摩羅什訳の『思惟畧要法』でも、閉目の観仏修行を説いています。また、『坐禅三昧経』にも、「心眼をもって仏を見る」といった記述がありますが、この経では開目・閉目の具体的説明はなされていません。



*『禅秘要法経』(ぜんぴようほうきょう)

大正新脩大蔵経 経集部 613
訳者…鳩摩羅什(くまらじゅう・350~409・中国五胡十六国時代の姚秦で活躍)ほか
記事中との関係箇所…・・・爾時世尊告禪難提及勅阿難汝等當教未來衆生罪業多者。爲除罪故。教使念佛。以念佛故除諸業障報障煩惱障。念佛者當先端坐。叉手閉眼擧舌向齶。一心撃念心心相注。使不分散心既定已。先當觀像。觀像者。當起想念。・・・
また、参考として別の箇所に、・・・爾時迦栴延白佛言。世尊。唯願如來爲此愚癡槃直迦比丘。及未來世一切愚癡亂想衆生。説正觀法。佛告槃直迦。汝從今日。常止靜處。一心端坐。叉手閉目。攝身口意。愼勿放逸。汝因放逸。多劫之中。久受勤苦。汝隨我語。諦觀諸法。時槃直迦。隨順佛語。端坐繋心。・・・
という記述もあり。


*『思惟畧要法』(しゆいりゃくようほう)

大正新脩大蔵経 経集部 617
訳者…鳩摩羅什(くまらじゅう)
記事中との関係箇所…觀佛三昧法。・・・佛爲法王。能令人得種種善法。是故習禪之人先當念佛。念佛者。令無量劫重罪微薄得至禪定。至心念佛佛亦念之。如人爲王所念怨家債主不敢侵近。念佛之人諸餘惡法不來擾亂。若念佛者佛常在也。云何憶念。人之自信無過於眼。當觀好像便如眞佛。先從肉髻眉間白毫下至於足。從足復至肉髻。如是相相諦取還於靜處。閉目思惟繋心在像不令他念。若念餘縁攝之令還。心目觀察如意得見。是爲得觀像定。當作是念。・・・


*『坐禅三昧経』(ざぜんざんまいきょう)

大正新脩大蔵経 経集部 614
訳者…鳩摩羅什(くまらじゅう)
記事中との関係箇所…第五治等分法門。・・・若初習行人。將至佛像所。或教令自往諦觀佛像相好。相相明了。一心取持還至靜處。心眼觀佛像。令意不轉繋念在像不令他念。他念攝之令常在像。若心不住。師當教言。汝當責心。・・・我今要當以事困汝。如是不已心不散亂。是時便得心眼見佛像相光明。如眼所見無有異也。如是心住。是名初習行者思惟。・・・

since 2005/4/12 - last modified 2005/4/18



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念仏行の教え その2

『五門禅経要用法』の念仏坐禅では、

「仏の相をはっきりと念ずることができたら、目を閉じる。できなければ、目を開けて仏の相を見る。目を開けている時と、目を閉じている時と、どちらの場合でも同じように、仏の相をはっきりと念じられるようにする。」

というように、開目・閉目と、念仏坐禅のあり方を、明解に定義しています。この経の後半には「初習坐禅法」という一章があり、坐禅をする時の諸注意などが書かれています。『小止観』の「修止観法門善根発相第七」は、この経典の注釈と言える内容になっており、後に天台大師が止観法を集大成する上での、重要な経典と言えるでしょう。



*『五門禅経要用法』(ごもんぜんきょうようようほう)

大正新脩大蔵経 経集部 619

著者…仏陀蜜多(ぶっだみった)
訳者…曇摩蜜多(どんまみった・?~442・中国南北朝時代の宋で活躍)
記事中との関係箇所…坐禪之要法有五門。一者安般。二不淨。三慈心。四觀縁。五念佛。・・・若行人有善心已來。未念佛三昧者。教令一心觀佛。若觀佛時當至心觀佛相好。了了分明諦了已。然後閉目憶念在心。若不明了者。還開目視極心明了。然後還坐正身正意繋念在前。如對眞佛明了無異。・・・
また、参考として別の箇所に
白骨観法。・・・如鑚火見烟穿井見泥得水不久。若心靜住開眼見骨。了了如水。澄清則見面像。濁則不見・・・是故坐禪之人先當念佛。・・・人之自信無過於眼。當觀好像如見眞佛無異。先從肉髻眉間白毫。下至於足。復至肉髻。相相諦觀。還於靜處閉目思惟。係心在像使不他念。若有餘縁攝之令還。・・・
という記述もあり。

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念仏行の教え その3

『解脱道論』という書には、次のような細かい記述がなされています。

「マンダラに相対して坐禅し、心が落ち着かないうちは目を閉じ、心が落ち着いたところで、少し目を開く。・・・大きく目を開くと、目が疲れるため、正しい観法ができない。目を閉じるとマンダラが見えなくなり、怠け心が起きてしまう。」

などとあります。マンダラを見ながら行う坐禅修行ですので、これも念仏修行の一種です。大きな開目と閉目がなぜいけないのか、という理由が解りやすく書かれています。



*『解脱道論』(げだつどうろん)

大正新脩大蔵経 論集部 1648

著者…優波底沙(うばていしゃ)
訳者…僧伽婆羅(そうぎゃばら・458?~524・中国梁で活躍)
記事中との関係箇所…卷第四 行門品第八之一。・・・應安坐具對曼陀羅結跏趺坐。令身平正。内心起念閉眼小時。除身心亂。攝一切心成一。心小開眼。髣髴令觀曼陀羅。彼坐禪人現觀曼陀羅形。以三行取相。以等觀以方便以離亂。問云何以等觀。答坐禪人現觀曼陀羅。非大開眼非大閉眼。如是當觀。何以故。若大開眼其眼成惓。曼陀羅自性現見自性。彼分想不起。若最閉眼見曼陀羅成闇。亦不見彼相便生懈怠。是故應離大開眼大閉眼。唯專心住曼陀羅。・・・

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