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釈尊成道時の坐禅瞑想

『仏所行讃』の第14章「阿惟三菩提品」には、次のような一節があります。

「仏は彼の七日において禅思して心清浄に、菩提樹にて観察瞪視して目瞬かず。」

これは、釈尊がおさとりを開くとき、7日間の坐禅修行の様子を記述した部分です。

「7日間禅定三昧に入り、心を清らかに保ち、菩提樹の下でこの世の真理を深く慮り、澄んだ眼は一点を見つめ、まばたきをしなかった。」

という意味になります。おさとりを開く最終段階の坐禅瞑想をする釈尊は、目を閉じていない描写になっています。



*『仏所行讃』(ぶっしょぎょうさん)

大正新脩大蔵経 本縁部 192
著者…馬鳴(めみょう)
訳者…曇無讖(どんむしん・385?~433?・中国五胡十六国時代の北涼で活躍)
記事中との関係箇所…阿惟三菩提品第十四。・・・佛於彼七日。禪思心清淨。觀察菩提樹。瞪視目不瞬。・・・

since 2005/4/12 - last modified 2005/4/18


テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

初期の止観から

中国に仏教が伝わった最初期に翻訳された経典(2~3世紀ごろ)の中に、安世高の訳した『大安般守意経』があります。この経には、数息観と随息観による止観が書かれてあり、「坐禅」という言葉も見られますが、開目・閉目や、調身(坐禅の時の身体の姿勢の整え方)についての記述はありません。なお、『小止観』の「修止観法門調和第四」中の、「第二初入禅調息法」と「第三初入定調心」は、この経典を踏襲した内容になっています。

『修行道地経』と『道地経』(『修行道地経』の部分訳本)には、5種類の止観法が書かれております。そのうちの「白骨観」と呼ばれる行法に、「開目」「閉目」という言葉が見られます。大まかに解読すると、

「目を開けているのも閉じているのも、白骨観修行においては同じこと。」
と読み取れます。



*『修行道地経』(しゅぎょうどうじきょう)

大正新脩大蔵経 経集部 606
訳者…竺法護(じくほうご・231?~308?・中国西晋で活躍)
記事中との関係箇所…神足品第二十二。・・・其修行者。觀人身骸在前在後等而無異。開目閉目觀之同等。是謂爲寂。尋便思惟。頭頚異處手足各別。骨節支解各散一處。是謂爲觀。此骨鎖身因四事長。飮食愛欲睡眠罪福之所縁生。皆歸無常苦空非身。不淨朽積悉無所有。是謂爲觀。取要言之。・・・


*『道地経』(どうじきょう)

大正新脩大蔵経 経集部 607
著者…僧伽羅刹(そうぎゃらせつ)
訳者…安世高(あんせいこう・生没年不詳・中国後漢末期に活躍)
記事中との関係箇所…神足行章第六。・・・譬如人刈芻。左手把芻右手持鎌便斷芻。彼譬如把芻是應止。如斷芻是應觀。譬如行者見髑髏熟諦視。若如開目見。閉目亦見亦爾無有異。・・・

since 2005/4/12 - last modified 2005/4/18


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念仏行の教え その1

五胡十六国時代(316~439)、鳩摩羅什によって翻訳された『禅秘要法経』には、罪業を除く修行方法としての、念仏坐禅の仕方が書かれています。ここで言う「念仏」とは、浄土宗系が行う「称名念仏」=「なむあみだぶつ」と口で称える念仏のことではなく、仏の相や功徳を心に思い浮かべ、集注する修行のことです。

「念仏をする時は、身を正して座り、掌を合わせて胸に当て、眼を閉じ、舌を上顎につける。そして、ひたすらに心を集注させ、仏の相を念ずる。」

とあります。この前後に「開眼」の記述がないことについて、西義雄教授は『仏教文化 第2巻 第2号』誌上「坐禅と瞑想」の論文中で、『「閉眼」とのみあるのは、その前后を省略したのか或は前后の文句を脱落したか、』と指摘されています。

同じく鳩摩羅什訳の『思惟畧要法』でも、閉目の観仏修行を説いています。また、『坐禅三昧経』にも、「心眼をもって仏を見る」といった記述がありますが、この経では開目・閉目の具体的説明はなされていません。



*『禅秘要法経』(ぜんぴようほうきょう)

大正新脩大蔵経 経集部 613
訳者…鳩摩羅什(くまらじゅう・350~409・中国五胡十六国時代の姚秦で活躍)ほか
記事中との関係箇所…・・・爾時世尊告禪難提及勅阿難汝等當教未來衆生罪業多者。爲除罪故。教使念佛。以念佛故除諸業障報障煩惱障。念佛者當先端坐。叉手閉眼擧舌向齶。一心撃念心心相注。使不分散心既定已。先當觀像。觀像者。當起想念。・・・
また、参考として別の箇所に、・・・爾時迦栴延白佛言。世尊。唯願如來爲此愚癡槃直迦比丘。及未來世一切愚癡亂想衆生。説正觀法。佛告槃直迦。汝從今日。常止靜處。一心端坐。叉手閉目。攝身口意。愼勿放逸。汝因放逸。多劫之中。久受勤苦。汝隨我語。諦觀諸法。時槃直迦。隨順佛語。端坐繋心。・・・
という記述もあり。


*『思惟畧要法』(しゆいりゃくようほう)

大正新脩大蔵経 経集部 617
訳者…鳩摩羅什(くまらじゅう)
記事中との関係箇所…觀佛三昧法。・・・佛爲法王。能令人得種種善法。是故習禪之人先當念佛。念佛者。令無量劫重罪微薄得至禪定。至心念佛佛亦念之。如人爲王所念怨家債主不敢侵近。念佛之人諸餘惡法不來擾亂。若念佛者佛常在也。云何憶念。人之自信無過於眼。當觀好像便如眞佛。先從肉髻眉間白毫下至於足。從足復至肉髻。如是相相諦取還於靜處。閉目思惟繋心在像不令他念。若念餘縁攝之令還。心目觀察如意得見。是爲得觀像定。當作是念。・・・


*『坐禅三昧経』(ざぜんざんまいきょう)

大正新脩大蔵経 経集部 614
訳者…鳩摩羅什(くまらじゅう)
記事中との関係箇所…第五治等分法門。・・・若初習行人。將至佛像所。或教令自往諦觀佛像相好。相相明了。一心取持還至靜處。心眼觀佛像。令意不轉繋念在像不令他念。他念攝之令常在像。若心不住。師當教言。汝當責心。・・・我今要當以事困汝。如是不已心不散亂。是時便得心眼見佛像相光明。如眼所見無有異也。如是心住。是名初習行者思惟。・・・

since 2005/4/12 - last modified 2005/4/18



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