般若心経 #3

(原文書き下し3)
受、想、行、識も、またまたかくのごとし。



(意訳3)
心の世界についても同様で、楽しいと感じたり、赤いものを「これは赤いものだ」と見たり、お腹が空いたので食事をとったり、目、耳、鼻、舌などから受けるものを、「きれいな花」とか、「鳥の声」、「赤ん坊のにおい」、「にがい」などと感じ、想像し、判断することも、これまで生きてきた間の、自分自身の経験や知識から、あれこれ導き出された、一瞬の幻覚のようなものなのです。つまり私たちの生活すべてにおいて、どれ一つとっても、それは永遠不変の実体ではありません。しかし、実体がない場合でも、現象や認識としては存在するので、「色=空」と同様、これらも不二一体であります。

since 2004/8/29 - last modified 2005/3/17

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ジャンル : 学問・文化・芸術

般若心経 #4

(原文書き下し4)
舎利子、この諸法は空相にして、 生ぜず滅せず、垢つかず浄らかならず、増さず減らず。



(意訳4)
シャーリプトラよ。今まで言ってきたように、この世の中の道理として、形としてとらえられるものも、心の領域の作用も、不変のもの、永遠のものはなく、「すべてが実体なく形なくして、仮に結びついて現れている存在(=空相)」という、「色と空は不二平等、表裏一体」であるのですから、例えばあなたの「心」について言うならば、「心」が生まれたり、死んだり、汚れたり、きれいになったりする、ということは、言い方や行動として表れることはあっても、「心」というものが実体として、目の前に出ることはありません。また、「心」がもう一つ増えた、ということはありえず、逆に一つ減ってなくなった、ということも考えられません。なぜかといえば、「心」というものには、数えるべき実体というものもなければ、真実当体のありかをズバリとらえられるものでもないからです。何事も「モノ」という概念にとらわれるから、増減、好き嫌い、苦楽、あるなし、という二種分別の妄想が起こるので、これらを空ととらえるならば、元より不二平等であり、分け隔てのできるはずもないのです。

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般若心経 #5

(原文書き下し5)
このゆえに空中には、色もなく、受、想、行、識もなく、眼、耳、鼻、舌、身、意もなく、色、声、香、味、触、法もなし。眼界もなく、ないし意識界もなし。



(意訳5)
つまり「いろいろなものが組合わさって、形として表れてはいるけれど、世の中のものは、すべて永遠ではなく、一瞬ごとに変化し続けている」ということを理解できたならば、この「空の教え」の中では、形のあること、感じること、想うこと、意志の力によって行うこと、認識すること、これら五蘊は、すでに言ったとおり「空」であり、また、目、耳、鼻、舌、からだ、心、これら感覚器官は、一個人の姿形として、仮に現れたものであるし、色、音、におい、味、触るもの、一切の物事、これらの要素も永遠の実体ではなく、幻のようなものなのです。目に見える世界も、(同様に耳界・鼻界・舌界・身界も、)また、心の中で感じたり、判断したりする領域も、すべてが空であるのです。

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