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無相大師遺誡 #3

(原文3)
次に先師大燈老人、老祖に西京に参得して、京輦巨峯に侍者たり。其の随従の際、脇席に到らざること多年、頗る古尊宿の風あり。

(つぎにせんしだいとうろうにん、ろうそにせいけいにさんとくして、けいれんこほうにじしゃたり。そのずいじゅうのあいだ、わきせきにいたらざることたねん、すこぶるこそんしゅくのふうあり。)



(意訳3)
さて次に、先代の師匠である大燈国師・宗峰妙超禅師であるが、師は嘉元3年(1305)、京都・韜光庵に住持していた大應国師に参禅し、その後大應国師が、京都・嘉元寺、鎌倉・建長寺に移られた時にも、侍者として随侍した。
その期間、怠ることなく参禅弁道に励み、その姿は、並みいる歴参の僧を超える、高僧としての風格をすでに持っていた。

since 2005/3/17 - last modified 2013/8/29



テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

無相大師遺誡 #4

(原文4)
卒に老祖淵粋の命を受けて長養すること二十年、果たして大應遠大の高徳を彰わし、仏祖已墜の綱宗を起こし、真風不地の遺誡を残して、後昆を鞭策する者は、先師の功なり。

(ついにろうそえんすいのめいをうけてちょうようすることにじゅうねん、はたしてだいおうおんだいのこうとくをあらわし、ぶっそいついのこうじゅうをおこし、しんぷうふちのゆいかいをのこして、こうこんをべんさくするものは、せんしのこうなり。)



(意訳4)
徹底した修行の末、大悟を認められた大燈国師は、大應国師より印可証明(悟りの証)と、これから後の修行についての命令を受けて、その直後より20年間、「聖胎長養」と呼ばれる総仕上げの修行に入られた。
その長期修行の結果、ついに大應国師より継承された高徳と資質が、世間に知られるところとなった。釈尊入滅後の末法思想の今日にあって、仏教の大綱と禅宗教義の布教に尽力され、そして、真実の仏祖の教えを堕落させることのないように、という願いを遺誡として残された。われら弟子どもを、今もなお指導鞭撻し、励ましている。大燈国師の功績もまた、賞賛し余りあるものである。

since 2005/3/17 - last modified 2013/8/29



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無相大師遺誡 #5

(原文5)
老僧爰に花園仙帝の敕請を受けて、此の山を創開するも、先師飯を嚼んで嬰児を養う。後昆直饒老僧を忘却するの日ありとも、應燈二祖の深恩を忘却せば、老僧が児孫にあらず。

(ろうそうここにかえんせんていのちょくしょうをうけて、このやまをそうかいするも、せんしはんをかんでようにをやしなう。こうこんたといろうそうをぼうきゃくするのひありとも、おうとうにそのじんのんをぼうきゃくせば、ろうそうがじそんにあらず。)



(意訳5)
私(無相大師・関山慧玄禅師)は、花園上皇の勅命を頂戴し、この正法山妙心寺を開創したが、これは先代の師匠・大燈国師が、まるで幼い子供に対して、ご飯を噛んで柔らかくしてから与えるように、われわれ修行者を誠心誠意鍛え育て上げてくれたからこそ、今この縁が結ばれているのである。
これから先、遠い後世になり、我が法系(師匠と弟子のつながり・仏法の系譜)が栄えて弟子が増えたとして、いつかは私のことが忘れ去られる時代が来るであろう。
しかし、大應・大燈両国師の深い恩愛は決して忘れてはならない。もしも両祖師への報恩感謝を忘れたとしたら、その弟子どもは私の法孫(系譜に連なる僧)ではない。「関山慧玄の法系につながる者だ」と言ってはならないし、それを私が決して許さない。

since 2005/3/17 - last modified 2013/8/29



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